月輪板と如来形立像

佐井寺に伝わる月輪板には、表面に薬師如来の梵字が記され、裏面には天文二年(1533)摂津の国を巻き込んだ一向一揆の騒乱によって堂宇が延焼したことや、天文二年十一月に仮殿が落成し十二月に奉還したという ことが書かれています。何を奉還したのかはこの板からはっきりしませんが薬師堂の仮殿が落成しその本尊を還したものと考えられています。

 

寺には、磨滅や朽損が激しい榧財と思われる一木造りの如来形立像が伝えられています。 

木造地蔵菩薩立像と地蔵塚

江戸時代に伊射奈岐神社境内にあった地蔵堂の本尊と考えられます。

江戸時代の名所案内図には、行基が掘り出して姿を現したという由来から「出現の地蔵」と称し、出現の地を地蔵塚と呼ぶと紹介されています。

この像は榧の一木で頭体を彫り出していて、当初は右の掌を前に開いて下げた与願印とし、左手に宝珠を取る姿だったとみられます。

 

 

地蔵塚は、標高80mほどの独立した小高い山です。

現在愛宕山と呼ばれ伊射奈岐神社が管理しています。