亀岡街道からの信仰の道

昭和6年第一室戸台風で被災した格式の高い構築造の本堂のたたずまいです。

右手手前は、鐘楼です。

 

正保4年(1647)当寺の中興開山楽順が、観音堂・薬師堂・寺坊などを建立して再興を果たし、翌慶安元年(1648)当地の領主京都所司代板倉重宗が梵鐘を寄進しました。 

 

写真は、市立博物館刊行「わかりやすい吹田の歴史」より

佐井寺観音信仰の参道の道標です。

 

佐井寺本堂の本尊十一面観音像は、行基が瑞光輝く地から感得した「栴檀香木の尊像」という伝説があり、古くから信仰を集めてきました。

 

江戸時代には寺社参詣が庶民の間にも流行し、佐井寺観音は信仰を集め、大坂や北摂近郊から多くの参詣者が訪れました。

 

亀岡街道から、1基は「天道道標」享保十八癸牛正月吉日、「これより十五丁」破損したため、現在は現地で見ることができませんが、片山4丁目から破線の道を北上します。

2基目は亀岡街道を約1Km北東の岸部北2丁目に「小路道標」立っています。

いずれの道標正面に十一面観音を表す種子「梵字でキャ」の文字が書かれています。

3基目が豊中市上新田にあることがわかりました。ので写真を挿入いたします。 

市立博物館刊行「わかりやすい吹田の歴史」他資料、絵図、説明文参照