佐井寺 山田寺(さんでんじ)  碕井山佐井寺

当山は山田寺(さんでんじ)とも号し、寺伝によれば、『西遊記』で有名な玄奘三蔵について修行した道昭により、677年(天武天皇6年)の草創で、その弟子2世道楽、3世行基と相承、行基住持の735年(天平7年)に至り、七堂伽藍と60余院が完成したといわれる。
 平安時代の始め、嵯峨天皇が河内・交野離京に行幸の814年(弘仁5年)2月と同7年2月の水生野(みなせ)ヶ原行宮所にて、それぞれ綿100屯を当寺に施入している。朝廷恒例の「御読経道場」二十一大寺中に加えられている格式の高い寺である。府文化財指定の木造地蔵菩薩立像(平安初期)・慶安二年に京都所司代板倉重宗寄進の釣鐘などが伝わっている。

 応仁年中(1467~69年)と天正年間(1573~92年)に兵火に罹ったと伝えるが、当寺に伝わる1533年(天文2年)の文書には、前年細川晴元方の、池田・伊丹両氏が島下郡の一向宗を掃討した際に類火炎上したが、直ちに再建された旨が記されている。
 また、寺の背後の行基山は水に乏しかったが、行基菩薩の祈祷により、「佐井の清水」が湧水したともいわれており、吹田三名水の一つに挙げられており、境内にその地下水が引かれている

摂州島下郡佐井寺村山田寺境内之図 製作年代不詳

山田寺は、明治の「寺社分離」の結果領域が神社と区分されています。

本堂裏の道の石段上がった右側斜面下「五衰殿石塔」「おこうずゐ池」を含む部分が山田寺領分となっています。