境内の建物等

佐井寺護摩堂 

護摩堂片庇に豊臣後期の古い瓦があり、楽順中興する以前のものであり貴重な瓦です。

薬師堂

薬師堂は、病気の原因となる疫病神や邪霊などを胡瓜に封じ込め、病気平癒を願うとい「胡瓜加持」が土用の丑の日に行われています。庶民信仰としての薬師信仰の一端がみられます。

 

薬師堂は、元は現在の伊射奈岐神社が鎮座する場所にあったようですが、現在の場所に移転された時期はよくわかりません。

鐘楼の梵鐘は、元禄5年(1692)年の記録には、当時この地を治めた京都所司代板倉重宗が慶安2年(1649)に寄進したもので、正保4年(1647)に楽順が寺を中興したいきさつなどを記しています。鐘楼は江戸前期の建築様式であることから梵鐘と同時期の建立と考えられます。

 

佐井寺の下馬石

石の正面に「下馬」と刻み、反対側に石を建てた応安元年(1368)の年号が刻んである。

この石の上部は、佐井寺南が丘の山中から発見され、それまで寺に残っていた下半分と継ぎ合わされている。南北朝時代のもので、佐井寺が天文の兵火(1533)で焼失する百六十有余前のもっとも繁栄した時代に南大門の傍にあったものらしい。    (鍋島敏也著文書より)

 

石段の右側に「佐井寺焼」窯跡推定地があります。

茶碗・蓋付鉢・土瓶・香炉等があり高台中央に「佐井寺」の刻印があります。

 

 

佐井寺焼は、弘化2年(1845)〜明治6年(1873)佐井寺で私塾を開いていた

赤井泰造(医師)が塾頭として読書、習字、算術を教え、明治4年(1871)には80人の塾生がいました。

彼がこの陶器窯に関与していたと思われます。

 

資料は、吹田市立博物館刊行「わかりやすい吹田の歴史」より